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津軽三味線 偉人列伝〜その3


今回は久しぶりの偉人列伝!前回の白川軍八郎からの続きです。

その少年は、白川軍八郎の三味線と出会い、大変魅せられ、師匠と仰ぎ三味線を弾きます。

やがて歌手としてデビューし国民的スターとなる、ご存じ「三橋美智也」です。

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(写真は、10インチレコードのジャケット、ライヴ盤)

9歳の時に民謡コンクールで北海道チャンピオンになり、かつて旅回りをしていた津軽の巡業団のひとつ『陸奥の家演芸団』に16歳で入団、その巡業団から昭和24年にリュックサックひとつで上京して、横浜は綱島温泉のボイラーマンとなり、やがてスカウトによって歌謡界にデビュー!

昭和生まれの日本人なら誰でも知ってる(?)ミッチーこと三橋美智也は、今までリリースしたレコード総売上数が1億6千万枚!日本一!!未だ記録が破られていないのです。

ミッチーに馴染みの無いそこのお若いあなた!明治製菓CMソングで♪それにつけてもおやつはカールの歌『♪いいもんだな故郷は』を歌ってるんですね!...わかりましたかな?平成生まれだと、ちょっとわからない?

ミッチーは唄も凄いが三味線も凄いんです。味があります。叩きと音澄みで聴かせます!

昭和34年に日本劇場で行った「三橋美智也民謡生活二十周年リサイタル」に師である白川軍八郎を呼び、まだ都会では知られていなかった津軽三味線のソロ演奏である『曲弾き』を軍八郎師と美智也の2人で弾き、津軽からの三味線を東京の地に初めて紹介しました。

これがきっかけで、その後津軽三味線と云うジャンル名がレコード会社によって名付けられ、民謡ブームと高橋竹山の人気などにより津軽三味線は世の中へ広まって行きます。
もしもこの人がいなかったら、現在の津軽三味線は無かったかもしれません!

津軽三味線の神様と呼ばれた白川軍八郎は惜しくも、昭和37年、結核の病によってこの世を去ります。享年53歳。残念ながら、津軽三味線が広まることを知らずに逝ってしまいます。
しかし、弟子であった美智也は歌手として国民的スターとなり、年末恒例のNHK紅白歌合戦で津軽三味線を弾き、お茶の間に津軽の三味線の音色を届けました。

軍八郎は、きっと天国からその後の美智也の大活躍を、現在のまでの津軽三味線を微笑ましく見守っていてくれていることでしょう!

偉人列伝、続く...。

次のSPレコードの写真は、三橋美智也がまだデビュー前に「金谷美智也」の芸名で、唄の伴奏を三味線で務めています、ベストプレイ!大変に貴重です!(本名・北沢美智也)

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次のレコードジャケット写真は、昭和36年発売のラテンビッグバンドとの共演もの。
洋楽と津軽三味線のコラボレーションの歴史は古い!
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