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偉人列伝 その5『汝の三味線を弾け!仁太坊と、その弟子達』


今回は、前回の神原の仁太坊の続きです。

「人真似で無く汝の三味線を弾け!」と芸心と、芸哲学を弟子達に教え、それぞれの弟子達の三味線芸は個性的に多彩に拡がって行きます。

仁太坊の一番弟子である叩き三味線と八人芸の、喜之坊。仁太坊の叩きに反して弾き三味線を編み出した、長瀞の長作坊(太田長作)。八人芸や唄の名手の嘉瀬の桃(黒川桃太郎)。出崎坊、
その他にも沢山の弟子がいたそうです。

叩き三味線の喜之坊には弟子の亀坊、赤坊、やがて木田林松栄へと繋がり、弾き三味線の長瀞の長作には梅田豐月(鈴木豊五郎)などの弟子がいて、高橋竹山へと繋がって行きます。
仁太坊の芸哲学は、弟子の又弟子達にも伝えられます。

そして仁太坊の最後の弟子が、津軽三味線の神様と呼ばれた白川軍八郎。
軍八郎は仁太坊のように八人芸を行わず、津軽三味線ソロである曲弾きを編み出しました。
素朴な弾き方であった坊様三味線を、叩き奏法と弾き奏法をミックスし、テクニカルな技法を高め、独自な三味線を編み出します。仁太坊の教え「汝の三味線弾け!」を体現したのです。

そして軍八郎の弟子には三橋美智也さんがいます。あのミッチーこと、三橋美智也さんは仁太坊の孫弟子になるのです!歌謡ショーの中で、民謡と津軽三味線曲弾きを披露します。

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白川軍八郎(左)と三橋美智也(右)

坊様の名前には、名前のあとに〜坊とつきます。嘉瀬の桃や軍八郎には坊が付きません。
神原、長瀞、嘉瀬、梅田は名字では無く、地名になります。地名+名前+坊となる訳ですね。ちなみに私に当てはめてみますと、『浅草の大坊』となるのでしょうかね...。

仁太坊の弟子の中、白川軍八郎以外は音源は残されていません。
長作の弟子である梅田豐月は沢山のレコードが残されていますが、それには理由があり、
別の機会に触れたいと思います。

坊様達は今で云うアーティストとは程遠い扱いをされていたので、録音物は皆無です。
三味線を聴くことができずにとても残念です。坊様達の三味線を聴いてみたいものですが、
しかし、僅ながらあるのです!

作家であり、津軽三味線の歴史研究の第一人者である大條和雄先生が、仁太坊が津軽三味線の始祖だと調べられたのですが、その大條先生が、坊様三味線の継承者を訪ね歩き、昭和50年代に録音し、収録されたものがあります。
すでに坊様現役を引退している方々の演奏ですので、しばらくぶりに弾く三味線は、思い出しながらの少したどたどしい演奏ですが(失礼)明治〜大正時代の頃の坊様三味線の演奏が数曲聴けます。

キングングレコードより発売されたカセットテープ5巻組『津軽三味線大全』(1986年)と、同じくキングよりCD5枚組『津軽三味線大全集』(1998年)こちらでは長瀞手と呼ばれる長作坊の教えた三味線や、盲人達が覚える為に伝えた口三味線も(三味線フレーズを唄う)収録されています。

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津軽三味線大全

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津軽三味線大全集

音源を採集し、残していただき、現在でも聴けることに本当に頭の下がる思いです。
坊様三味線は今の津軽三味線に比べて大変に地味ですが、味があります。
津軽三味線にとって一級品の勉強材料の音源です。戦前のSPレコード音源の津軽民謡の三味線伴奏と聴き比べると、類似する部分などがあり、大変に勉強になります。
1人1人演奏の違いのある津軽三味線の個性は、神原の仁太坊の芸哲学により様々な三味線となって行った訳です。

今回の神原の仁太坊とその弟子達については、大條和雄先生の『弦魂津軽三味線』(合同出版)『津軽三味線の誕生』(新曜社)から参考、引用させていただきました。

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私が三味線を弾いて行く上で、仁太坊を知ることにより、精神面で多大なる影響を受けました。
「汝の三味線を弾け!」

次回は大條先生の仁太坊取材についてのことをご紹介させていただきたいと思います。

続く...。

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