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津軽三味線偉人列伝・その7〜戦場帰りの三味線弾き


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唸り上げる一の糸、どこか妖しく切ない二の糸〜三の糸の音色。
SPレコードに針を落とすと、民謡伴奏の前奏が聴こえてきます。

こざかしいフレーズは一切無く、シンプルな演奏は胸を打ち、その音色にしばらく息は止まります。

張りの緩んだ皮から発するその音はリズムを刻み、妖艶な響きを発します。

ところで、津軽三味線の三羽烏と呼ばれたのは、白川軍八郎、福士政勝、木田林松栄の御三方。そしてもう1人、忘れてはならない方がいます。津軽三味線三羽烏+1で幻の四天王の1人と云われた、五十嵐清栄(いがらしきよえい)です。

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五十嵐清栄は、大正9年(1920年)6月11日生まれ。
三浦柾市に三味線の手解きを受け、昭和15年20歳の時にレコード吹き込みに参加するが、間も無く徴兵により入隊し、三味線を置きます。中国の大連〜フィリピンへと幾多の戦地をくぐり抜け生き延びますが、兵役に関する法律が改正されて3年の満期は延びてしまい、戦火の激しい宮古島の前線に向かいました。大戦が終わる頃、青森で待つ家族からは戦死したと思われていました。 
ところが、終戦を迎えた翌昭和21年、五十嵐は生きて青森に帰って来ます。
農作業をする傍ら、演奏活動を再開。宵宮などの舞台や、お祭りの余興、青森県民謡大会での伴奏、俚謡、民謡レコードの吹き込みで大活躍。戦後の昭和20年代は最も充実した演奏活動を行っていたようです。 

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そんなある日、順調に思われた五十嵐の三味線人生の行く手を阻む出来事が起こります。
宵宮の演奏あとに仲間と酒を呑んだ帰り道、岩木川に架かる安藤橋が増水により壊れてしまい、川を渡れなくなってしまいました。何とかして渡ろうとやむを得ず川に入ります。三味線の入った鞄を括り付けた自転車を担ぎ上げ、家族の待つ家を目指しますが、酒に酔った五十嵐はそのまま流されてしまい行方不明になります。2週間後に発見されましたが、昭和27年、31歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。

服のポケットからは家で待つ子どもへの土産のキャラメルがありましたが、水に溶けて中身はすべて無くなり、空き箱になっていたそうです。 

幾多の戦地を潜り抜け、九死に一生を得て帰国し、再び三味線を弾き活躍しましたが、川に流されあっけなく人生の幕を閉じてしまいます。数奇な運命の巡り合わせに悲しみを禁じ得ません。

続く...。 

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(所有SPレコードの1枚)

参考/2008年3月20日放送・ATV(青森テレビ)『りんごの花咲く頃〜津軽三味線・五十嵐清栄伝』

キングレコード・『津軽三味線大全』ライナー(1986年発売)

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