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新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
皆様にとって、御多幸な年でありますように!

しばらくぶりの更新、新年の第1段は、マニアックなレコードのご紹介!!

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世紀の大対決!三橋美智也対寺内タケシ『津軽じょんがら節/黒い瞳』
演奏・三橋美智也/寺内タケシとバーニーズ
キングレコード(株)/HIT-718/1967年

以前当ブログにこのレトロなレコードジャケット写真をのせたところ質問が多く寄せられました。
ジャケットから印象深く、大変に強烈です。

世紀の大対決とは、昭和42年当時に人気絶頂のスターであるお2人が三味線とエレキで演奏対決することなのでしょう。 

両者背中がギザギザに爆発し、闘いはジャケット写真からすでに始まっています!
エレキギターが不良といわれた時代、テケテケ演奏するエレキギターと、北海道の旅廻り民謡一座出身の津軽三味線早弾きとの対決は、ボクシングのチャンピオンであるモハメッドアリと、プロレスラーのアントニオ猪木の異種格闘技戦を思わせます。
さあ、闘いの行方はいかに!!

三橋美智也はキングレコードよりLP「三味線リサイタル」を1963年に発売。
ラテンビッグバンドの見砂直照率いる東京キューバンボーイズと三味線で共演。
ここで美智也は唄わずに三味線の演奏のみのインストロメンタル。

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寺内タケシは66年に「寺内タケシとブルージーンズ」で、津軽じょんがら節をエレキギターで演奏しています、こちらもインスト演奏です。

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レコードのライナーノートによると、67年に国際劇場などの両巨頭の顔合わせから実現した、とあります。事前に御両人の打ち合わせのみで、本番一発で録りあげることを約束!

67年9月14日午後1時、1歩先に寺内タケシがスタジオへ入場、5分遅れて美智也が三味線を抱えて入場。お互いにフェアプレイを誓って固い握手を交わし、1時13分、いよいよ世紀の対決が開始されました! 

A面『津軽じょんがら節』オープニングはバーニーズの演奏から始まり、続いて美智也のコーラスエフェクトがたっぷりかけられた三味線演奏から三味線のソロ、ギターのソロと続き、
ソロの掛け合いが遂に始まります!美智也に対してメラメラ敵意むき出しの寺内タケシは、リズムお構い無しにハシります。

続いてバーニーズは寺内タケシのバックバンドなので、ついていかない訳には行きません!バンドみんなでハシリます。

リズムは熱を帯び、ファズのかかったギタートーンに、エイトビートを刻むスネア、電子オルガンが響き、三味線は泣き叫びます。

一発録りならではの演奏の荒さは両者の闘いの息づかいが聴こえて来るようで、まるでライヴ演奏のようです。

B面の『黒い瞳』はロシア民謡。電子オルガンバックに三味線は寄席囃子調の『佃』で始まり、三味線にはたっぷりエコーがかかってます。ジャケット写真と音から推測すると、美智也は細棹を使っているようです。
歌メロのアンサンブルあとに、こちらでも両者の掛け合いが聴けますが、A面の鼻息の荒さはこちらでは落ち着いていて、私としてはこちらの『黒い瞳』の方が好きです。
ロシア民謡のカチューシャ、トロイカ、1週間など私は今まで三味線で演奏しましたが、ロシア民謡の旋律は津軽三味線で弾くと、しっくり来るように思います。単なる思い込みなのか、寒い地方の音楽同士、通じるものがあるかもしれません...。

両者、三味線とエレキの日本一を自認され、津軽じょんがら節の名手と云えるお2人はお互い楽器が違えど、民謡をエンターテイメントに高める志は一緒!
対決の果てに両者の心は見事にシンクロしたのでありました。

よって、引き分け!! 

(敬称は略させていただきました)

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第3回アミューズミュージアム山本 大津軽三味線教室ライヴ!!
〜三筋の糸に想いをのせて!〜 ライヴレポート 

2011年11月26日、アミューズミュージアムの6F織り姫の間にて、津軽三味線の教室ライヴを開催、無事終了いたしました!

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出演は、教室生徒12名+ゲスト+私の14名出演。
所謂おさらい会や発表会とは一味違うステージショーです。

今回も当日のプログラムに何曲か追加しました!全部で2時間の番組です。


〜当日のセットリスト〜

イントロダクション〜山本大ソロ

津軽甚句

リンゴ節

四段〜五段〜六段

黒石よされ

嘉瀬の奴踊り

青森ねぶた囃子

六段

津軽じょんがら旧節

カチューシャ(ロシア民謡)

パイプライン(ベンチャーズ)

鉄橋 良(生徒)ソロ 津軽じょんがら節 曲弾き

山本 大 ソロ 
インプロヴィゼイション〜よされ節
十三の砂山

ゲスト〜コーナー和笛奏者・武田朋子

山本大&武田朋子セッション
リンゴ追分
じょんがら節曲弾き、即興

山本大、教室生徒全員、武田朋子による津軽甚句


進行は、出演生徒メンバーの紹介もしつつ、曲解説を交えつつ、の演奏でした。
生徒達だけによる合奏曲や、生徒のソロ演奏、ねぶた囃子では出演者全員の威勢の良い掛け声で、会場のお客様にも掛け声を参加していただき最高潮に盛り上がり演奏しました!

前回、前々回とは異なり、今回はさらに楽曲にアレンジを加え、私は生徒達と一緒にユニゾン合奏をせずに即興で別フレーズを弾き、生徒数名がバッキングをしたりするアンサンブル演奏。
三味線を始めてからまだ3ヶ月余りの新しい仲間も加わり、出演生徒全員が一丸となって舞台を作りました。

ゲストの和笛奏者の武田朋子さんは、自己紹介と篠笛のご説明をしていただいたあとに素晴らしいソロ演奏をご披露いただきました!
日本人には馴染み深い横笛や篠笛の音色の響きはどこか懐かしく、そして津軽三味線にもしっくりとマッチします。

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私とのセッションでは即興なのでお互い伺いつつも、やがては音も気持ちも1つになって演奏して行きます。

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津軽三味線の連続フレーズに、武田さんなりに解釈した笛の連続技が炸裂し、三味線と音は重なり合い1つなり終演!会場からは割れんばかりの拍手をいただきました。さらに最後の津軽甚句にも武田さんに演奏していただいて、出演者全員出演の大団宴でした。

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今回も前回同様に、3月に襲った東日本大震災による被災地へ、チケット収益の一部をアミューズ基金より日本赤十字社へ寄付させていただきました。被災地の1日も早い復興をお祈り致します。


今回の開催にあたりまして、関係者各位、スタッフの皆様方、大変有り難うございました。 

まだ3回目の教室ライヴ、まだまだ未熟ではありますが、さらに磨きをかけて、次回の第4回は内容と参加人数をパワーアップして春頃に開催したいと思います。

次回の教室ライヴもご期待ください!!

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ご来場誠にありがとうございました。

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2011年11月19日、当アミューズミュージアム5Fイベントスペースと、6F織り姫の間にて、浅草初、大人の縁日『おきた FIGHT ON JAPAN!2』が行われ、出演させていただきました。日本文化とアフリカンビートとブラジリアンダンス!DJとDANCEのセッションと云ったイベントです。

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このイベントは本年5月28日にもアミューズミュージアムにて行われ出演をさせていただき、さらに6月には浅草のROXコートで行われた震災チャリティーイベントでもご一緒させていただいたので、今回で出演は3回目。 

震災で中止になった浅草の三社祭。浅草でチャリティイベントを企画。
主催者やスタッフ、出演者の多くは浅草の地元の若い方々。
呑む、食べる、観る、聴く、踊る!五感で楽しめるイベントで、さらに募金もする。
おきたナイト、浅草おきた、などとも呼ばれています。

このイベント名の『おきた』とは、ご存知!浮世絵でもお馴染みの、寛政三大美人の1人である難波屋の看板娘『おきた』のこと。難波屋は、江戸時代に浅草寺の二天門前、現在のアミューズミュージアムの辺りにあった水茶屋。
主催者の山口さんは難波屋のおきたの衣装に扮して司会を進行し、会場を盛り上げて行きます。

かつてあった難波屋の跡地に立つアミューズミュージアムで行う『おきたナイト』とは、なかなか考えたものです。とにかく内容と出演者が凄い!DJ、ヒップホップダンサー、華道、和太鼓グループ、アフリカから来日したミュージシャン、浅草のサンバのダンサーの姉さん、浄土宗のお坊様(木魚パーカッション)、浅草の若手演歌歌手、花やしき子供姉妹歌手、ふんどしダンサー、などなど。そして私の津軽三味線も出演に加わり、様々にコラボレーションをして行きます。

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お客さんはステージを観て楽しみ、DJの音楽で踊り、屋台や縁日風の出店でお酒と食事などを楽しみ、さらには震災チャリティーブースで募金をする...。
文面だけではイメージや空気をお伝えしずらいイベントです。

このイベントの魅力は、うまくは説明できませんがゴチャゴチャに混ざり合わさったカオスなところが魅力なのです。ちゃんこ鍋、チャンポン、チャンプルーの美味しさとでも云いましょうか、ある意味とっても浅草らしいのかもしれません。

例えば、浅草寺の境内には浅草神社。かつての浅草の舞台芸能や音楽は、とっても和洋折衷でした。新しさと古さ、上品さと下品さ、対極なものが混じりあって生み出される浅草独特の空気と似ています。
異なるもの同士がぶつかり合った時に生まれて来る何かがあります。
ただアートを気取ったようなものでは無く、俗っぽい生々しさがあります。
そして出演者は皆々とにかく熱いのです!

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私は即興で独奏をしばらく演奏。その後にDJの音源に合わせて演奏しました。
DJはタクローさん。ワールドミュージックなどのソースで個性的な音をミックスさせてビートをはじき出す不思議サウンドです!そこにダンサーが登場して踊り出します。

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1回目の5月の出演のことですが、DJの音に合わせて三味線を演奏しだしたところ、歓声が上がり出し、観ていたお客さん、子供から大人までが次々と舞台に勝手に乱入して、演奏している私の後ろで大勢が踊り出したのです。普段の演奏は音楽鑑賞的なステージが多いので、一瞬何事が起きたのか!と驚きましたが、音に反応して踊り出してくれるなんて私は非常に感激しました。民謡や盆踊りでは無い三味線の演奏で踊ってもらえるとは、ある意味新しいことです。どんどん踊っていただきたい!このようにお客さんも身構えることも無く、積極的楽しもうとする雰囲気がイベントにはあるのでした。

今回のステージでは最初から舞台にプロダンサーが登場したので、客席は又々盛り上がりました!ステージには生けたてたばかりの生け花、三味線の演奏とDJサウンド、さらにダンスとのコラボです。

他には無い、浅草らしいミクスチャーなイベント。この度も参加させていただきありがとうございました!

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秋から冬にかけては1年の中では演奏の多いシーズン、その演奏の中からひとつ演奏リポートを。

2011年10月29日、三鷹市新川中原コミュニティーセンターにて行われた『音楽サロンコンサート』にお呼びいただきました。とてもありがたいことに、かれこれ2004年より毎年出演させていただいています。毎回満員御礼の大盛況なのです。お客様はほとんどが地元にお住まいの御近所の方々で、毎年お越しになる方もいます。

コンサートの内容は、いつもは私のソロ演奏を40分ほど、休憩をはさみまして2ステージ演奏します。今回は久しぶりにゲストをお招きし、尺八の松本宏平さんにお越しいただきました。演奏前日にも阿佐ヶ谷ジャズストリートへゲスト出演をいただきましたので連日の御出演。ちなみに2005年にも尺八の入江要介さんにもお越しいただいたことがあり、その時も大変好評をいただきました。 

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第1部は私のソロ演奏です。 
〜セットリスト〜
第1部
オープニング〜即興曲弾き
津軽じょんがら節 旧節
津軽じょんがら節 中節
津軽よされ節 
十三の砂山 その1


第2部は尺八の松本宏平さんと私の演奏です。
〜セットリスト〜
第2部
じょんがらセッション
尺八ソロ 鶴の巣ごもり
リンゴ追分
十三の砂山 その2
〜アンコール〜ねぶた囃子

いつもご一緒させていただく尺八の小濱明人さんと松本さんはアプローチが随分違います。
その演奏にこちらも反応して即興演奏は変わり、今までとは違う演奏になりました。
同じ楽器でも演奏者によって内容や音色、アプローチは変わりますので面白いのです。
津軽三味線も演奏者によって皆、様々に違うところが面白さだと思います。
2曲目前に松本さんから尺八のお話し。虚無僧の由来や歴史、頭に被る天蓋(てんがい)のこと、虚無僧は門付けを行うことなど。私も第1部で津軽三味線も家々の戸口に立ち演奏する門付けが始まり、との説明をさせていただきましたので、門付けが一緒なのだと皆様にお聞きいただきました。

そして尺八ソロ演奏、曲は『鶴の巣ごもり』と云う曲で、ご説明によると色んなバージョンが各地にあり、その中でも最も古いと云われる古典である鶴の巣ごもりを演奏していただきました。

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そして、十三の砂山を再び第1部のソロ演奏とアレンジを変えて、第2部でも尺八と演奏させていただきました。お互いが狂気と化し、激しくボルテージが上がります!内容はいくつかの約束ごとを作り、あとは即興の演奏です。リハーサルと内容が変わります。時にはスリリングに、松本さんと心をひとつにして演奏します。

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音楽サロンコンサートでのお客様から、間近に生で和楽器の演奏を直に聴けて大変良かったと感想をいただきました。サロンコンサートは毎度三味線にマイクを使わない全くの生演奏です。今回は尺八もマイクを通しません。マイクは話を喋る時だけに使いました。
演奏する私から一番前のお客様までは2メートルもありませんので目の前から音が迫って来るわけです。恥ずかしいことにこちらの汗の垂れる様までハッキリとご覧になれます(笑)
会場の鳴りは、叩けば撥音が反響してエコーし、叩かずに澄ませて弾いてもきれいに響き通りますのでマイクは要りません。音も汗も生々しい臨場感のライヴです。

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今回は三味線と尺八の和楽器の演奏、それは日本のものではありますが身近には無い非日常的なもの。なかなか和楽器の生演奏に触れる機会はありません。私も最初は、民謡酒場で至近距離で聴かせていただいた津軽三味線の音に強烈に感動したものです。津軽三味線の音はとても強く心に響きました。

究極はマイクを使わず生演奏でお聴きいただきたいと思う私としては、何より嬉しい演奏会場でした。
その反面、三味線をもっと聴いていただけるよう、これからも様々な場所で洋楽器、電気楽器などと、面白いコラボレーションも盛んに行いたいと思っています。
尺八の松本宏平さん、お越しいただきました皆様、お付き合いいただきまして大変ありがとうございました!!

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(マイクと花束を持って歌謡ショーのようですが、唄ってるわけでは無く、お客様に御礼申し上げているところです。)

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11月26日(土)、アミューズミュージアム6F織り姫の間にて、第3回山本大津軽三味線教室ライヴ開催致します! 

今回も、三味線を始めてまだ3ヶ月余りの方や、5年以上のベテランまでの勢揃い!
ニューフェイスも加わり、総勢12名の出演。プラス私とゲストです。

山本大一門による津軽三味線ライブ、
いわゆる習い事の発表会とは一線を画す、津軽三味線ショーです!
私と生徒、そしてゲストが繰り広げるエンターテインメント・ショーとして御覧いただけます。
津軽三味線に興味をお持ちの方は、是非ご覧になってください!

教室ライヴは毎回好例のゲスト出演があります。
第1回はジャズギターの永守健治さんでした。
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第2回はインドのシタール奏者、鹿島信治さんでした。
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今回の第3回ゲストは、横笛の武田朋子さんです!
和物同士、笛の音色は三味線の音色としっくり合うことでしょう。
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ゲスト:和笛奏者・武田朋子(たけだともこ)

東京都出身。幼い時からピアノ、トランペットなどの楽器に親しむ。
宮韻勢納連(くういんきよなれん)江戸囃子の太鼓・笛を習得し、悠玄亭玉介社中(ゆうげんていたますけしゃちゅう)の江戸獅子舞の太鼓方として活動。
その後、佐渡へ渡り和太鼓集団「鼓童」文化財団研修所にて2年間の研修を経て、現在は横笛演奏家として笛・太鼓の指導を行いながら、自身のユニット『朋郎』ではライブハウスを精力的に作曲・演奏活動を行っている。
その他に、和太鼓や二胡などの他楽器とのアンサンブルによるライブ活動も行っている。
日本の伝統音楽に根ざす新しい音楽ジャンルを開拓する中で篠笛の持つ魅力を多くの人に伝えることを目指している。能管を能楽の笛方・一噌幸弘氏に師事。

プログラムは、津軽民謡もの数曲の合奏〜上級者による合奏〜生徒のソロ〜そして私のソロ演奏〜ゲスト演奏〜ゲストと私の演奏〜出演者全員の合奏となります。

第3回アミューズミュージアム 山本大津軽三味線教室ライヴ!!
〜三筋の糸に想いをのせて!〜

2011年11月26日(土) 開場15:30 開演16:00
於:アミューズミュージアム 織り姫の間
チケット:2,100円(ドリンク代別)
(チケット料金の一部は、東日本大震災の義援金として寄付させていただきます。)

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シタールと出演者全員の合奏。

ご興味を持たれた方、この機会に是非ともお越しいただきご覧ください!

ご予約は:
電話 アミューズ ミュージアム 03-5806-1181(10:00〜18:00)
 または、こちらの問い合わせフォームからお願いいたします。 

一同お待ち申し上げます!

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2011年10月28日、東京は杉並区の阿佐ヶ谷にて行われているイベント、
阿佐ヶ谷ジャズストリートへ出演させていただきました! 

この催しは、毎年10月の最終金曜日と土曜日の2日間、阿佐ヶ谷の街の広範囲で行われ、
パブリック会場、ライヴハウスなどのバラエティ会場、ストリート会場などで演奏場所が構成され、プロ、アマチュア含め出演アーティストは総勢千人。出演バンドも134組にもなる大規模なジャズイベントです。 

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じつは、私は今年で10回目の連続出演(10年目)になります。
さかのぼること10年前の2001年、阿佐ヶ谷のある会社企業様からのご依頼で、「阿佐ヶ谷ジャズストリートへ会社からバンドを出展したい、津軽三味線でバンドを率いてジャズができないか?会社の前で演奏して欲しい」とのご相談をいただき、ピアノとドラムのトリオで演奏させていただきました。

しかし、三味線でジャズを演奏するのか、三味線とジャズ演奏をかけ合わせるのか、最初は試行錯誤の連続でした。結果、後者の方へ行着きました。無理はせず、津軽三味線の持ち味をなるべくそのまま生かして洋楽器と演奏をする形態になって行きました。
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2002年には三味線合奏2丁とサックス、民族楽器のディジリドゥと共演。
2003年にはドラム、ベース、サックスの編成。2004年にはサックスの変わりにキーボードが加わり、ベースはウッドベースに。
同年、新橋にて行われるジャズイン東京に出演。数ヵ所で演奏する機会を与えていただきました。
2005年にはギター、ベース、ドラムのカルテットで2007年まで演奏。
三味線の生演奏の他に、エレキ三味線をギターアンプに繋げ、足元にはワウペダルやフェーザー、ディレイなどのエフェクターを繋いて演奏したりもしました。
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年々演奏を続けて行く事に常連のお客様もかなり増えて、1日4ステージの演奏は毎年大好評をいただく一方で、人が増え過ぎて歩道の通行の妨げになると警察当局からの指導があり、2007年を最後にあえなく終演になる予定でした。

しかし、毎年楽しみにされていた地域の方々より、津軽三味線が聴きたい!
毎年楽しみにしてます!との要望が多数寄せられ、今度は阿佐ヶ谷ジャズストリート事務局からの演奏のご依頼で、2008年より杉並区役所玄関前の特設ステージにて、夕方より1ステージのみ演奏させていただける運びとなりました。
2008年よりギターとのデュオを続け、本年2011年はあらたに尺八奏者に参加していただきました。

今年の会場は椅子席以外に何重にも立ち見していただき、会場は溢れんばかりの満員御礼!
お聴きいただきました皆様、演奏にお付き合いをいただきまして誠にありがとうございました!

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〜出演〜
津軽三味線/山本 大
ギター/永守健治
尺八/松本宏平

〜セットリスト〜
★じょんがら4ビート
★スパニッシュなセッション
津軽のブルーズ(作曲・永守健治)
★津軽よされ節 (アレンジ)
ウェーブ(ギターソロ、アントニオ・カルロス・ジョビン)
虚無僧の『本調』(尺八ソロ、古典)
リンゴ追分(美空ひばり)
パイプライン(ベンチャーズ)
★縄文東日流(じょうもんつがる)
アンコール〜ウォーター・メロンマン(ハービー・ハンコック)

★はオリジナル曲。演奏時間は1時間20分ほど。

ストリートでの演奏は門付けの精神。津軽三味線はジャズと同じアドリブの演奏。
黒人から生まれたジャズと盲人であるボサマから生まれた津軽三味線は、根元の精神は普遍に同じなのです! 

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この度の演奏はご好評いただきましたので、いつかこのメンバーで再演したいと思います。
以上、演奏リポートでした!

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坂本龍馬の妻であった楢崎龍(ならさきりょう)こと、お龍(おりょう)の話しの朗読とコラボレーション。

2011年10月16日、公益財団法人・横須賀三浦教育会館にて行いました、
朗読『坂本龍馬の愛した女 お龍』と題した公演に参加させていただきました。
じつは、この公演は2回目。

ちょうど1年前、2010年9月23日に、当アミューズミュージアムにて行った公演の再演で、
朗読セラピーSWIMMY(スイミー)主催の公演。

朗読と和楽器の共演で、スイミーの朗読と、私を含む和三BOMとのコラボレーション。
当日は満員御礼でした。

スイミーと和三BOM共演は4回目。
その他私個人はスイミーさんの朗読とは何度かご一緒させていただいてます。

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2010年9月23日アミューズミュージアム6F織り姫の間、昼、夜公演
出演 朗読セラピーSwimmy/松井美紀 長谷川直子

和三BOM/和太鼓・響道宴 尺八・小濱明人 津軽三味線・山本大


しかし、今回の横須賀公演は、会館施設側の音量制限などの問題により残念ながら和太鼓の響さんにはお休みいただき、尺八と私の三味線で音曲や効果音などを工夫して演奏しました。 

会場は満員御礼!横須賀はお龍が龍馬亡きあとに住んでいたところでお墓もあります。
地元皆様の感心の高さが伺えます。

1部は、お龍の生い立ちから龍馬暗殺までの半生の話しで『坂本龍馬の愛した女お龍』脚本はスイミー。スイミー代表の長谷川さんは衣装もお龍に扮しての朗読!ドラマチックに演じていただき、こちらの演奏にも熱が入ります。
池田屋事件、日本初と云われる薩摩への新婚旅行、そして暗殺へ...。

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1部終わりには、尺八の小濱さんと私の演奏タイム。
曲は私がアレンジした『十三の砂山』を、さらにこの日だけの編曲で演奏させていただきました。

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2部は、龍馬亡きあとに夫になり連れ添った西村松兵衛の語りで描いた作品『葉隠れの露』(船山聲作「幕末の女たち」より)。朗読は、松井さんがとても味わい深く語っていただきました。

この作品に描かれる西村松兵衛には心魅かれます。
朗読は松兵衛の心揺れ動く描写、尺八の小濱さん作曲のテーマ曲が雰囲気をもり立てます。
三味線の演奏も心理描写などの場面では、私の色々なフレーズや技法の引き出しを様々に駆使させていただきました。

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坂本龍馬の晩年に、わずかな間に妻となったお龍。
龍馬亡きあとの人生に坂本龍馬がつきまといます。さらに、後の主人となる西村松兵衛にも、妻お龍の思い出の龍馬がつきまとい、時に苦しめられます。
先立たれたお龍に、お龍の妹である光枝らとともに墓を立ててやりますが、松兵衛は自らの名は刻まず、贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓と刻みます...。

演奏しながら朗読を聞かせていただき、この度も心より胸に迫るものがありました。
朗読とのコラボレーション、スイミー皆様とは又の機会にも是非ご一緒させていただきたいと思いました。

この度はスイミーの皆様と教育会館スタッフの皆様、ありがとうございました。

そして何よりご来場のお客様、大変ありがとうございました!!

以上、演奏レポートでした。

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津軽三味線を始めた人は『神原の仁太坊』と云われたのが今から25年ほど前のこと。
現在、津軽三味線は日本の芸能の一つとして、日本はもとより、世界的にも知られるようになりました。明治以降に誕生し、伝統芸能とはまだまだ呼べ無い歴史が短い芸能。
しかし、その歴史は闇に包まれていました。

青森県弘前市の作家であり、歴史研究家の大條和雄先生が、地元で三味線の門付けの経験のある方々や芸人を訪ねて調べ歩き、誰から三味線を習ったのかを辿って行くと、すべて仁太坊の直弟子達に行き着いたそうで、津軽三味線のルーツ解明に取り掛かりました。

初めは小説の題材にでもならないかと津軽三味線に感心を持ち、坊様三味線の経験者や、津軽民謡の芸人達、地元の古老などを訪ねてはメモ書きから始め、津軽の当道座や藩日記なども調べ始めたそうです。しかし、坊様のこと、津軽三味線と云う呼称は、どの古い文献にも見当たらなかったそうで、調べる必要があると志します。

話は逸れますが、私がネットで手に入れた、昭和26年発行の『東北民謡物語』(著者・武田忠一郎/発行・フジヤ書店)の中で「津輕物」の項目で三味線の伴奏について武田氏はこう書かれています。

「おそらく、ここでは、嘉瀬の桃太郎という人が弾きはじめ...」と記されています。
仁太坊の弟子の桃ですが、桃よりも前の時代の芸人や兄弟子達は省かれています。
昭和30年代以降の発売のLPやEP盤のライナーには、津軽三味線は嘉瀬の桃が始めたと多く書かれています。

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本格的に取材を始め、訪ね歩きだしたのが昭和34年。しかし、取材は困難を極めます。
取材先では胸ぐらを掴まれたり、打ち水の水をかけられたり、塩をまかれたりしたそうですが、それは何故なのか。

門付け芸人の坊様は芸をする替わりに物を貰って歩く乞食(ホイド)、社会的に地位の低い存在。
筋目悪き者とレッテルを貼られ差別されて来た歴史があったからでした。
身内のものが失明して門付けをして坊様になることは不名誉なことであり、他人の家のことならまだしも、自分の家から坊様が出ることは家柄に傷がつくと云うことになり、中には子供が失明すれば坊様に預けてしまい、そのまま離縁してしまう場合もあったそうです。

人の家の知られたくない過去を掘り返し、傷に塩を塗るような真似をするな!と追い返されたこともしばしば。趣旨を説明して説得し、取材を続けます。

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現在の津軽三味線があるのは坊様がいたからこそと、不当な扱いを受ける坊様達の名誉回復の為に闇の歴史に光を当て、取材を続けて行きます。
しかし、人の家のプライバシーに触れることへの心の葛藤もあります。

そして、昭和58年に『弦魂津軽三味線』を陸奥新報に連載し、津軽三味線のルーツと、仁太坊が津軽三味線の始祖と発表。翌年には合同出版より同タイトルの単行本発行。津軽三味線初の歴史専門書。

さらに『津軽三味線の誕生』(新曜社・1994年発行)で具体的に、時代背景や津軽藩の当道座などの歴史を交えて解説されてます。仁太坊が瞽女や様々な芸能から影響を受け、混ぜ合わせて独自の芸を編み出して行く様が紹介されてます。
そして、高橋竹山のように有名にはならなかった名人達のことも多数記されています。

今日、津軽三味線の歴史について多く知ることができるのも大條先生の血の滲むような取材、努力のおかげです。神原の仁太坊が始祖では無いのでは?と反論も聞かれます。誰が始めたか、定義は様々ですので私にもわかりません。しかし、仁太坊が始祖で無かったとしても、仁太坊の芸哲学が様々な芸人達を生み、さらに白川軍八郎を始めとする個性豊かな三味線弾きを生み、現在の津軽三味線の生成を知れることは大変な価値があります。
そして、実証的な裏付けをされたこともこれから未来に向けて非常に重要なことです。

津軽三味線がこれからも益々奏者によるカラーの違いを拡げ、聴くも良し、弾くも良し、と楽しまれることを願って止みません。

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今回は、前回の神原の仁太坊の続きです。

「人真似で無く汝の三味線を弾け!」と芸心と、芸哲学を弟子達に教え、それぞれの弟子達の三味線芸は個性的に多彩に拡がって行きます。

仁太坊の一番弟子である叩き三味線と八人芸の、喜之坊。仁太坊の叩きに反して弾き三味線を編み出した、長瀞の長作坊(太田長作)。八人芸や唄の名手の嘉瀬の桃(黒川桃太郎)。出崎坊、
その他にも沢山の弟子がいたそうです。

叩き三味線の喜之坊には弟子の亀坊、赤坊、やがて木田林松栄へと繋がり、弾き三味線の長瀞の長作には梅田豐月(鈴木豊五郎)などの弟子がいて、高橋竹山へと繋がって行きます。
仁太坊の芸哲学は、弟子の又弟子達にも伝えられます。

そして仁太坊の最後の弟子が、津軽三味線の神様と呼ばれた白川軍八郎。
軍八郎は仁太坊のように八人芸を行わず、津軽三味線ソロである曲弾きを編み出しました。
素朴な弾き方であった坊様三味線を、叩き奏法と弾き奏法をミックスし、テクニカルな技法を高め、独自な三味線を編み出します。仁太坊の教え「汝の三味線弾け!」を体現したのです。

そして軍八郎の弟子には三橋美智也さんがいます。あのミッチーこと、三橋美智也さんは仁太坊の孫弟子になるのです!歌謡ショーの中で、民謡と津軽三味線曲弾きを披露します。

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白川軍八郎(左)と三橋美智也(右)

坊様の名前には、名前のあとに〜坊とつきます。嘉瀬の桃や軍八郎には坊が付きません。
神原、長瀞、嘉瀬、梅田は名字では無く、地名になります。地名+名前+坊となる訳ですね。ちなみに私に当てはめてみますと、『浅草の大坊』となるのでしょうかね...。

仁太坊の弟子の中、白川軍八郎以外は音源は残されていません。
長作の弟子である梅田豐月は沢山のレコードが残されていますが、それには理由があり、
別の機会に触れたいと思います。

坊様達は今で云うアーティストとは程遠い扱いをされていたので、録音物は皆無です。
三味線を聴くことができずにとても残念です。坊様達の三味線を聴いてみたいものですが、
しかし、僅ながらあるのです!

作家であり、津軽三味線の歴史研究の第一人者である大條和雄先生が、仁太坊が津軽三味線の始祖だと調べられたのですが、その大條先生が、坊様三味線の継承者を訪ね歩き、昭和50年代に録音し、収録されたものがあります。
すでに坊様現役を引退している方々の演奏ですので、しばらくぶりに弾く三味線は、思い出しながらの少したどたどしい演奏ですが(失礼)明治〜大正時代の頃の坊様三味線の演奏が数曲聴けます。

キングングレコードより発売されたカセットテープ5巻組『津軽三味線大全』(1986年)と、同じくキングよりCD5枚組『津軽三味線大全集』(1998年)こちらでは長瀞手と呼ばれる長作坊の教えた三味線や、盲人達が覚える為に伝えた口三味線も(三味線フレーズを唄う)収録されています。

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津軽三味線大全

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津軽三味線大全集

音源を採集し、残していただき、現在でも聴けることに本当に頭の下がる思いです。
坊様三味線は今の津軽三味線に比べて大変に地味ですが、味があります。
津軽三味線にとって一級品の勉強材料の音源です。戦前のSPレコード音源の津軽民謡の三味線伴奏と聴き比べると、類似する部分などがあり、大変に勉強になります。
1人1人演奏の違いのある津軽三味線の個性は、神原の仁太坊の芸哲学により様々な三味線となって行った訳です。

今回の神原の仁太坊とその弟子達については、大條和雄先生の『弦魂津軽三味線』(合同出版)『津軽三味線の誕生』(新曜社)から参考、引用させていただきました。

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私が三味線を弾いて行く上で、仁太坊を知ることにより、精神面で多大なる影響を受けました。
「汝の三味線を弾け!」

次回は大條先生の仁太坊取材についてのことをご紹介させていただきたいと思います。

続く...。

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津軽三味線はある1人の男によって誕生したと云われています。

一昔前の津軽地方では、男性の盲人が門付けをする者のことを坊様(ボサマ)、乞人(ホイド)、ジャド、または座頭の坊と呼んだそうです。ストレートに乱暴な言い方をすると、これら坊様とは、乞食をするもののこと。あるいは乞食芸人などを指し、芸の内容は多岐に渡ります。
盲人の門付け芸人で無くても、芸人と云うだけでも坊様と呼ばれる場合もあります。
津軽三味線は、坊様三味線などと呼ばれていました。

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2007年、五所川原市金木町神原に建てられた、仁太坊生誕150周年記念碑

現在の青森県五所川原市金木町神原、岩木川の河原に生まれた仁太坊こと、秋元仁太郎(1857〜1928)は津軽三味線の生みの親であると云われています。
津軽三味線の基礎を築いた功労者にも関わらず、世に認められずこの世を去りました。

八歳の時に疱瘡にかかり生死をさまよい、失明してしまいます。
母親は仁太坊を産み、まもなく他界。父は岩木川の船渡し守りで、仁太坊が十五歳の時に事故により水死、仁太坊は天涯孤独となります。そして、生きて行く為に彼は坊様となり、門付けをし、その日の糧を求めて三味線を弾き歩きました。


仁太坊と津軽三味線のルーツ解明は、1980年代に大條和雄先生によって発表されました。
大條先生の仁太坊については『弦魂津軽三味線』(合同出版)『津軽三味線の誕生』(新曜社)などで読むことができますが、『金木今昔物語・著/白川兼五郎』(自家版・昭和56年)こちらでも神原の仁太坊について書かれてます。

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驚くことに、著者の白川兼五郎氏は、実際に仁太坊の芸を見ているそうです。

自分で見聞きしたエピソードや、氏の父親から聞いた話、昔話しを良く知る知人から聞いた話をまとめています。

『金木今昔物語』によりますと、意外にも仁太坊は家々の軒先を廻る門付けはめったにしなかったそうです。ただの物乞いはしないとのポリシーが強く、毎日のように街の盛り場や茶屋、居酒屋などで、旅の人を相手に芸を売ったそうです。

出掛ける時はバサマ(女房)の『まん』といつも一緒。まんは手引きの六尺棒と太鼓を手に持ち、盲目の仁太坊を手引きします。

仁太坊は、背中に佐々木小次郎の長刀のように太棹の三味線を背負い、腰には横笛と尺八を差して手引きの六尺棒につかまり歩いたそうです。

芸風は、津軽三味線のソロ演奏と云うよりも、八人分の芸を披露する八人芸(はちにんげい)。
唄うと云うよりは唄を語るような口説き節風のもの。三味線や尺八などを用いて唸り上げます。じょんがら、よされ、おはらもみんな入っていて、熱が入るとナンジョ(謎かけ)から祭文までやる芸達者ぶり。

叩き奏法を自ら編み出し、弾くと云うよりビュンビュン!と叩く、あらん限りの芸を取り混ぜ、聴衆をひとのみにしてしまい、あたりを圧したそうです!神原から金木の盛り場まで、いつも同じ道を妻の手引きで歩きます。

また、大條先生の『弦魂津軽三味線』『津軽三味線の誕生』によりますと、仁太坊の元には三味線や八人芸などを教わりに来た弟子達がいました。

弟子達に三味線を教える時に強く伝えたのは芸心、芸哲学。
「人真似は猿でもできる、汝の三味線弾け!」と、教えたそうです。

やがて、その弟子達が、芸の個性を多彩に広げて行きます。

続く...。

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